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海陽町に移住された方にインタビューしてみました!!【パート②】

みなさんこんにちは!総務課の大久保です。
今回は、以前、海陽町採用PR動画の際にインタビューさせて頂いた一般社団法人「Disport」の高畑さんへのインタビューの全貌をお伝えします。

高畑さんは、2016年に関東の方から海陽町へ移住されました。
その後、一般社団法人「Disport」を立ち上げ、海陽町の「ふるさと納税」「高校魅力化事業」にもご尽力いただいております。

そんな高畑さんに、移住者目線からの海陽町の特色・魅力についてインタビューしてみました。是非ご覧ください。



自己紹介をお願いします。

はい、私は横浜出身で、8年前に海陽町に移住してきました。高畑と申します。現在、地域商社と教育魅力化事業を担っている一般社団法人「Disport」という会社を経営しています。

また、もう1つ、水産のスタートアップも経営しており、海陽町では、移住時には存在しなかった牡蠣の養殖事業を始めています。よろしくお願いします。

海陽町に移住するきっかけについて教えて下さい。

私は2016年8月頃に海陽町に移住しました。当時は総合商社に勤めていて、海外とのトレーディングや貿易を担当していました。インドネシアに駐在する機会をいただいたのですが、その経験がきっかけで日本に対する考え方が変わりました。

当初は、日本が発展した国だから、途上国を支援する側になるものだと思っていました。しかし、実際にインドネシアに住んでみると、大きな発展を遂げており、人口も日本の2倍で、平均年齢も26歳という若いエネルギーに満ち溢れていて、地域が盛り上がっていました。

日本を振り返って考えてみると、豊かな国で先進国であるけれども、海外から見ると、日本は30年以上も停滞している国だという現実がありました。

私自身も、東京の大企業に勤めたら「勝ち組」だという価値観で生きてきたのですが、そういった教育を受けて、そのような業界に入ったものの、日本が本当に豊かになっているかと言えば、むしろ停滞していると感じました。そして、これからさらに他国に追い抜かれていく状況を見たとき、自分の国である日本の方が危機的状況であると感じました。

そこで私は、会社を辞めて地方から教育や一次産業を変えていかなければならないという強い思いを抱き、行動を開始しました。そのころ、ちょうど海陽町がサテライトオフィスの取り組みを始めたばかりの時期でした。

海陽町のサテライトオフィスに出展している企業の社長さんと偶然お会いし、「地方創生から日本を変えたいんです」と話したところ、「海陽町という街があるから紹介するよ」と言われたのがきっかけです。その時、私はすぐに「行きます」と二つ返事をして、移住を決めました。

実は、その時まで一度も海陽町に行ったことがなく、よく考えてみると徳島にも行ったことがありませんでした。人生で初めて四国に、そして初めて徳島に来たのが、そのタイミングでした。

もちろん、徳島県自体は知っていましたが、海陽町の存在も知らず、徳島が四国のどの辺りにあるかすら曖昧な認識でした。全く縁も血縁もない場所でしたが、これまでの人生で訪れる機会がなかった場所に、自分が来ることになったのです。


実際海陽町に来てみて、どのように感じましたか?

最初は勢いで「もう行きます!」と言ってしまったんですが、その後にGoogleマップで調べてみたら、思っていたよりもずっと南の方まで行くことに驚きました。

でも、実際に来てみると、改めて感じたのは、食事や医療など生活に必要なものは十分に揃っているということです。

もちろん、生きていく上でご飯を食べたり医療を受けたりすることは重要ですが、例えば「高級な食事が必要か?」と問われると、実際はそれほどでもないんですよね。

また、医療も十分に充実していると感じています。現在8年ほど住んでいますが、大きな困りごとはほとんどありません。クリニックにもお世話になることがありましたが、問題なく生活できています。

地図で見た時には「どんなに大変な場所なんだろう?」と、医療も交通手段も乏しいのではと思っていましたが、逆に予想以上にいろいろ揃っていることに驚きました。実際に来てみて良かったです。確かに田舎ではありますが、必要なものはちゃんとある、そんな印象ですね。

現在、いろいろな事業を展開されていると思いますが、どのような活動をされているのでしょうか?

Disportでの地域事業では、まさに海陽町役場の方々と一緒になって、産品を世の中に流通させるという取り組みを行っています。

ふるさと納税についても、町役場と協力して、もう6年ほど歩んできました。当初、海陽町への寄付額は200万円程度だったと思います。そこから、返礼品を集めるところから共に取り組みを始めました。

最初は、「東京の人はこんなものは買わないだろう」という声もありましたが、「私は東京から来たので、この素晴らしい商品が理解できます」と話し、出品を進めてもらいました。その結果、今では年間の寄付額が1億円を超えるまでになり、そういった取り組みを役場の方々と一緒に進めてきました。

役場の仕事は、一般的には事務作業が多いイメージがありますが、私たちは一種の企業戦略のように、攻めの姿勢で取り組んできたと感じています。その結果、数億円規模の寄付を集めることができました。

なぜ私たちがDisportというチャンネルで、役場の方々と一緒にこの取り組みを進めてきたのかというと、集まった寄付金を基金として地域に還元し、その還元先の一つとして教育を重視しているからです。特に、私たちは地方の教育を改善したいという課題意識を持っています。

海陽町には県立の海部高校が残っていますが、県立高校の運営に町は直接関わっていないため、役場としては小学校や中学校が管轄となります。しかし、県立高校が地域にあることは非常に重要であり、町としてもそこに予算措置を講じて、県の運営では賄いきれない部分を支援するという取り組みを行っています。そこで、使える基金を集めるための取り組みを進めています。

実際、高校の魅力化についても、もともと地域の子どもたちの数は人口統計を見れば明らかで、どんどん右肩下がりになっていく状況です。このまま放っておくと、本当にこの高校がなくなってしまい、海陽町から高校生が消えてしまうという危機に直面していました。私だけでなく、地域の方々も強い危機感を抱いていました。

そんな中で、「地域みらい留学」という取り組みを知り、「これなら他の高校にも負けない」と思ったんです。この街は素晴らしい環境で、学びの場としても最高だと感じ、私たちも関わらせてもらいました。県の教育委員会の協力も得てPRを進めた結果、これまで地元の海部高校には地元の子どもたちしかいませんでしたが、県外からも生徒が集まるようになりました。

以前は地元の子どもたちだけで成り立っていた高校ですが、それだけでは集団として成り立たないため、県外にも積極的にプロモーションを行いました。その結果、毎年15人以上の生徒が県外から集まるようになりました。しかも、都市部だけでなく、大阪が近いので大阪からの生徒が多いと思っていたら、岩手県や熊本県など、他の地方からも生徒が集まってきています。今では、非常に多様な高校になっていて、子どもたちにとっても多様性を感じられる環境が整っています。地元の子どもたちが多いイメージが強いですが、海部高校は多様性が進んでいる学校です。

ただ単に人数を集めるための施策ではなく、地元の方々や学校の先生方、海陽町の教育委員会とも事前に徹底的に話し合い、「何のために人を呼び寄せるのか」という目的を明確にしました。その過程で、地元の中学生にアンケートを取ったところ、なぜ地元の高校に行かず、わざわざ町外の高校に進学するのかという理由を聞いたところ、「コミュニティが変わらないから」という回答が多く見られました。

この結果を見たとき、地元の中学校出身者ばかりが集まる環境に対して、子どもたち自身が危機感を抱いていることが分かりました。「仲が良いのは良いけれど、このままで本当に社会に出られるのか」という不安感から、町外の高校に進学していたのです。

そこで、地元の高校でも多様な背景を持つ生徒が集まる環境を作れば、その不安も解消できるのではないかと考えました。海陽町は世界的に見ても貴重な自然や文化を残している地域です。それを高校生たちにも伝えることができ、結果として多くの生徒が集まってくれるようになりました。

これまでの活動で特に印象に残っていることは何ですか?

印象に残ったのは、まさに「ふるさと納税」についてです。

先ほども少し話しましたが、最初は寄付額が他の自治体に比べてかなり少なかったです。

ただ、そこをどう変えるかというと、魅力的な返礼品があることが大事だと感じました。アンケート結果を見ても、やはりそれが大きなポイントになっていました。「海陽町にもいいものがたくさんあるよね。野菜もそうだし、ほかにもいろいろあるよね」といったことを打ち出していこうと考えました。

まず最初は、「売れないだろう」と思っていた方々を説得し、実際に出品を始めていただきました。そして、それが急激に伸びていったのを見たとき、とても嬉しかったです。特に嬉しかったのは、高齢の農家さんが「自分の野菜が、ただお金になるだけではなく、いろんな人に喜んでもらえるのが嬉しい」と言ってくださったことです。その農家さんは、ネット販売なんて一度もしたことがなかったので、レビューを見せると、とても喜んでくれました。

本当は体力的にも辛く、もうやめようと思っていたそうですが、「たくさんのレビューをもらい、一緒に取り組んできて、海陽町が盛り上がっているのを感じた」と言ってくださり、次の年も続ける決断をされたんです。それが本当に嬉しかったです。小さな出来事かもしれませんが、その人の人生を少しでも変えることができたというのが、今でも心に残っています。

農家さんの話も出ましたが、事業を進めていく中で、地域住民の協力体制が重要だと思うのですが、いかがでしたか?

地域住民の協力という面では、移住初日から強く感じました。

僕が移住した当初は、今の会社もまだ立ち上げておらず、無職の状態で、それなのに、「地方創生をこの町から始めます」なんて偉そうに言っていたんです。

普通なら、「何を偉そうに言っているんだ」と思われてもおかしくなかったでしょうが、移住初日に海陽町役場の職員さんと出会い、ちょうど地域のお祭りがあったので「今日移住してきました」と挨拶したら、すぐにいろんな方々を紹介してくれました。

その後も頻繁に連絡をくれ、飲み会にも誘ってくださって、1ヶ月くらいで町の1割くらいの人と知り合いになりました。それくらい温かく迎えてくれたことが、本当にありがたかったです。

また、私たちはもう1つの会社で水産業のベンチャーをやっていて、カキ養殖をしています。水産業は漁業権がないと養殖ができないのですが、全国的にもよそ者に漁業権を与えることはほとんどありません。

でも、私たちが「こういうことをやりたい」と話をしたら、漁業関係者の方々が本当に応援してくれて、「彼らにやらせてあげたい」と総会で話をしてくれ、最終的には区画漁業権を得て、養殖を始めることができました。

これは、海陽町でなければ絶対にできなかったことです。初日から驚かされるくらい、温かく支援してくださって、本当に感謝しています。

海陽町の取り組みが他の地域にどのような影響を与えたと思いますか?

先ほど言った高校魅力化の取り組みについては、毎年視察を受け入れており、地域のモデルケースとなっていると実感しています。

この「高校魅力化」事業は、島根県の離島から始まったものですが、当初は「あそこは奇跡だからできたんだ」と言われ、自分たちには無理だと諦める人も多かったです。

しかし、私たちは絶対にできると信じて取り組んできました。その結果、実際に成果を上げ、学生たちの意識も変わってきています。

そのような中で、他の山間部や地方の高校から「本当にそんなことができるのか?」「あれは島根の離島だけの奇跡ではないのか?」「特別なことをやったのではないのか?」という質問を受けることがあります。しかし、私たちはただ地域の魅力を発信し、その中で学べることに愚直に取り組んだだけです。

プロモーションに多額の費用をかけたり、広告代理店を使ったりは一切していません。それが評価され、実際に視察を受けた地域からも「自分たちも同じように取り組んでみよう」という声が増えてきています。これも、海陽町が海部高校の取り組みを進めてきたからこそ、他の地域にも普及している成果だと感じています。

また、水産業の分野でも同様です。通常、ここでのカキの養殖は難しいとされていましたが、私たちはそれを成功させました。今では全国各地の沿岸部から「その方法を教えてほしい」と依頼を受け、私たちの手法を広めているところです。このように、海陽町の取り組みが大きな影響をもたらしたと感じています。

他の自治体と比較して、海陽町の最大の魅力は何だと思いますか?

地方創生や業界の中で活動していく中で、いろんな地域のプレイヤーと接して気づいたことがあります。特に大きいのは、地方自治体としての役場側の積極性です。

他の地域の話を聞くと、行政が動いてくれないとか、時には「これ以上のことはしなくていい」といった消極的な対応が多いようです。もちろん地域のコネクションは大切ですが、現状を変えようとする意欲が見られない場合もあります。

私たちの場合、ふるさと納税や地域の魅力化、漁業の推進など、新しいことを必ずしも始めなくても、よそ者がやるのではなく「私たちがやる」といった意識で進めてきました。それでも目立つことをするな、という声がある地域が多いことに気づかされました。

しかし、海陽町ではそういった制約は一度も感じたことがありません。むしろ「もっとこうしよう」と役場の職員が積極的に動いてくれる印象があります。その点で、特に役場の姿勢が大きく影響していると感じています。

高畑さんにとって海陽町の役場職員にはどのようなイメージを持っていますか?

そうですね、良くも悪くも「公務員らしくない」という印象です。

私も東京に住んでいて、役場と聞くと硬いイメージしかありませんでした。書類を出す場所という、いわゆる「お役所仕事」的なものだと思っていました。

しかし、実際に海陽町に来てみると、全く逆の印象を受けました。地方創生は民間が主体となってやるのかと思っていましたが、実際には行政がまちづくりを推進しているのです。町を運営する中枢が海陽町役場であり、その意識を持った職員が多いことに驚きました。

普通であれば、言われた仕事だけをこなせばいいはずです。たとえば、書類を出すのが仕事なら、それだけで終わりにするのが一般的です。しかし、海陽町では職員が移住者である私たちを他の人々に紹介したり、いろいろとサポートしてくれたりします。これは自分の仕事の範囲を超えたことですが、それが町の発展や盛り上がりにつながると理解して行動しているのです。その点で、海陽町の職員の積極的な姿勢に感銘を受けました。

だからこそ、「硬い仕事だと思って入った人は大丈夫かな?」と心配になるくらい、積極的で意欲的な人たちが多いと感じています。

海陽町の将来に向けて期待することは何かありますか?

海陽町の将来に関して言えば、小さな成功を自分たちだけでなく、いろんな人たちが生み出していると感じます。実際に町が盛り上がってきていると肌で感じています。

また、役場の職員も世代交代が進んでおり、若い世代が入ってきています。大学卒業生だけでなく、一度企業に勤めた後に役場に入ってきた人たちもいます。

こうした民間の経験を持つ若い職員たちが増え、祭りなどのイベントでも一緒に取り組んでいます。彼らもそれぞれに思いを持っていて、次世代の海陽町役場を担う存在として期待されています。

採用活動でも、ぜひ意欲的な若い人たちが入ってきてほしいです。私もこれからは、今度はサポートする側に回り、いろんな人に紹介していくつもりです。ぜひ飛び込んできてほしいですね。

他の地域から移住を考えてる方に アドバイスがあればお願いします

海陽町は、まさに先ほど申し上げた通り、役場が町づくり運営会社のような役割を果たしています。

役場が中枢にあり、なおかつ私たち民間の人間も一緒に挑戦できるフィールドだと感じています。行政と民間という感覚はあまりなく、よく「官民共同」といった表現が使われますが、それほど大げさなものではなく、普段から自然に共同が生まれているのです。それだけ、行政と民間の間のハードルが低く、お互いに「これは自分たちの仕事だから」といった枠にとらわれない街だと感じます。

結局、やはり「人」が大事だと思います。役場だけでなく、さまざまな人々が織りなす街というのは、環境ひとつとっても全く違います。例えば、祭りが今でも残っている理由は、そうした思いを紡ぎ、尊重していく人々がいるからこそだと思います。昔から大切にされてきたものをきちんと受け継ぎながらも、新しいことに挑戦していくというイメージがあります。

だからこそ、そういったリスペクトを持ちながら新しい挑戦をしたいという人たちに、ぜひ海陽町に移住してもらい、一緒に活動していきたいという思いを強く持っています。